帆船日本丸[Sail Training Ship NIPPON MARU]

帆船日本丸のデータと歴史

航海中の帆船日本丸
 日本丸は昭和5(1930)年に建造された練習帆船です。昭和59(1984)年まで約54年間活躍し、地球を45.4周する距離(延べ183万km)を航海し、11,500名もの実習生を育ててきました。昭和60(1985)年4月より、みなとみらい21地区の石造りドックに現役当時のまま保存し、一般公開をしています。船の生活を体験する海洋教室やすべての帆をひろげる総帆展帆などを行い、帆船のすばらしさ、楽しさを伝えています。

帆船日本丸の歴史

近代的なビル群の立ち並ぶみなとみらい21地区の中心に、今は静かに都市の発展を見つめる日本丸。そのおだやかな様子からは想像できない、様々な歴史を背負っています。その歴史を少しだけのぞいてみませんか。
1.帆船日本丸の誕生
昭和のはじめ、船員を養成するための学校「東京高等商船学校」と「神戸高等商船学校」は専属の練習船「大成丸(2423トン)」と「進徳丸(2792トン)」を所有していました。しかし、函館をはじめ11校の公立商船学校の専属の練習船は総トン数1000トン以下で、海難事故が相次ぎ、民間船会社に依頼して航海実習をしている状況でした。どうにか共通の大型練習船が造れないかという強い要望があり、「日本丸」と「海王丸」の姉妹船が建造されることになりました。 1928(昭和3)年、文部省の提出した予算は1隻あたり91万円でした。
2.帆船日本丸の設計とエンジン
帆船日本丸:主機関左舷機
日本丸のエンジンは、焼玉エンジンを作っていた池貝鉄工所に開発を依頼しました。池貝鉄工所の川口工場では何度も何度も試作品が作られました。やっと完成したエンジンは、日本初の舶用大型ディーゼルエンジンとなり、日本丸の中で54年動きつづけ、世界一の稼動年数記録を打ち立てました。
帆船日本丸の設計は洋式帆船の経験が少ない国内では無理という判断で、先の大成丸、進徳丸の設計を行ったイギリスのラメージ&ファーガッスン社に依頼しました。しかし、この設計に欠陥が見つかり、数箇所の改造が必要となりました。竣工5日前に実験を行い、急遽マストを連結するヤードの金具などをすべて造り変えました。 そして、日本丸は1930(昭和5)年3月31日に川崎造船所(神戸)から、文部省へ引き渡され、6月23日朝、神戸港を出発し、船籍港である東京港へ向かいました。
3.はじめての遠洋航海へ
帆船日本丸:ホノルルでの出迎へ
横浜港から遠洋航海に出帆する日本丸。
1931年
帆船日本丸:ポナペ停泊中の日本丸
ポナペ停泊中の日本丸
館山、清水、神戸などの沿岸を航海していた帆船日本丸は、1930(昭和5)年10月4日いよいよ第1次遠洋航海に旅立ちました。南洋群島(現ミクロネシア)のポナペ島への航海でした。その後も太平洋を主体とした訓練航海を行いました。
年次 月日 遠洋航海
1930
(昭5)
10/4〜12/3 東京−横浜−ポナペ−横浜−東京
1931
(昭6)
4/11〜7/12
12/15〜S7.2/6
東京−横浜−ホノルル−横浜−東京
東京−横浜−トラック−横浜−東京
1932
(昭7)
4/9〜7/11
11/8〜S8.2/2
東京−横浜−ヒロ−カフルイ−横浜−東京
東京−横浜−クサイ−サイパン−鹿児島−鳥羽−東京
1933
(昭8)
4/8〜7/5
9/20〜12/12
東京−横浜−ホノルル−横浜−東京
東京−横浜−ヤルート−ポナペ−横浜−東京
1934
(昭9)
4/12〜7/30
11/20〜S10.2/19
東京−横浜−サンフランシスコ−横浜−東京
東京−クサイ−基隆−四日市−東京
1935
(昭10)
4/20〜8/23
11/26〜S11.2/24
東京−横浜−エンセナダ−サンディエゴ−横浜−東京
東京−クサイ−トラック−与那原−横浜−東京
1936
(昭11)
4/25〜7/29
12/1〜S12.2・16
東京−横浜−カフルイ−ケアラケクア−カイルア−横浜−東京
東京−横浜−ポナペ−パラオ−横浜−東京
1937
(昭12)
4/27〜9/7
12/5〜S13.2/26
東京−ヒロ−タヒチ−ヤルート−横浜−東京
東京−横浜−ポナペ−高雄−東京
1938
(昭13)
5/2〜8/30 東京−シアトル−ホノルル−横浜−東京
1939
(昭14)
1/12〜3/19
5/17〜9/18
12/2〜S15.2/21
東京−クサイ−サイパン−横浜−東京
東京−横浜−サンフランシスコ−ヒロ−横浜−東京
東京−横浜−ポナペ−トラック−テニアン−鳥羽−横浜−東京
1940
(昭15)
5/29〜9/14 東京−タワオ−楡林−アモイ−青島−横浜−東京
1941
(昭16)
2/10〜3/25
5/24〜9/5
東京−サイパン−ロタ−横浜−東京
東京−アンガウル−基隆−アモイ−上海−佐世保−横浜−東京
4.帆船日本丸と戦争
帆船日本丸:当時の新聞記事
1941(昭和16)年12月8日太平洋戦争が勃発すると、日本丸は外洋訓練を中止。横浜浅野ドックに入り、帆などの帆装艤装(はんそうぎそう)がはずされ、白い船体はねずみ色に塗り替えられました。瀬戸内海、大阪湾を中心に緊急物資(石炭など)の輸送のかたわら、訓練を続行していました。多くの船が海に沈んでいく中、幸いにして日本丸は戦渦に見舞われることなく終戦を迎えました。戦後、中国、東南アジア、南方諸島には600万〜700万の日本人が残されていました。1946(昭和21)年12月、日本丸は上海を皮切りに釜山、シンガポール、台湾などをまわり2万人以上の引揚者を輸送しました。1951(昭和26)年サンフランシスコ対日和平条約が調印されると、帆船日本丸は外地での遺骨収集、慰霊碑の建立などに献身的につくしました。乗組員、実習生たちは戦争の傷跡が残る熱帯のジャングル、洞窟にわけ入り、作業を行いました。
年次 月日 詳細
1944
(昭19)
11月 実習生収容人員増員に伴う改修工事
1945
(昭20)
5/19


8/15
航海訓練所が運輸省所管になる。
瀬戸内海機雷封鎖により練習航海、緊急物資とも不可能になる。
燃料ほとんどなくなる。
終戦
1946
(昭21)
1月〜10月 帰還輸送航海(鹿児島−上海) 8航海
帰還輸送航海(博多−コロ島) 8航海
1947
(昭22)
3/23〜5/8

5/19〜6/29
8/2〜9/5
9/26〜10/13
10/19〜11/21
12/10〜12/20
帰還輸送航海
(宇品−佐世保−シンガポール−ラングーン−シンガポール−宇品)
帰還輸送航海(宇品−シンガポール−ラングーン−シンガポール−宇品)
帰還輸送航海(大阪−宇品−シンガポール−佐世保)
帰還輸送航海(佐世保−コロ島−佐世保)
帰還輸送航海(佐世保−長崎−サイゴン−佐世保)
帰還輸送航海(佐世保−長崎−中城湾−佐世保)
1948
(昭23)
1/1〜1/8
4/26〜5/9
5/22〜5/31
7/8〜7/11
9/18〜9/28
帰還輸送航海(佐世保−名瀬−中城湾−佐世保)
帰還輸送航海(佐世保−南西諸島−佐世保)
帰還輸送航海(佐世保−塘沽−佐世保)
帰還輸送航海(佐世保−釜山−佐世保)
帰還輸送航海(佐世保−塘沽−佐世保)
1949
(昭24)
8/5〜8/14
9/21〜9/24
帰還輸送航海(佐世保−基隆−那覇−名瀬−佐世保)
帰還輸送航海(佐世保−釜山−佐世保)
5.帆船日本丸復活
敗戦国の練習帆船は、次々にアメリカなど連合国へ所有権が移っていき、日本丸や海王丸もいつかは駐留軍の手にといううわさが流れていました。1950(昭和25)年朝鮮戦争が勃発しました。両帆船は、特殊任務を命ぜられ、釜山から米軍人、韓国避難民を約3,000人輸送しました。そのような中、航海訓練所は各方面へ練習帆船が残せるよう働きかけました。時代遅れと言われながらも帆船の現代的意義を説き続け、ついに帆船の復活が現実的のものになったのです。以前帆装を撤去した浅野ドックには雑草が生い茂り、その中から空襲の中残されていた鉄製のヤードが見つかりました。木製のヤード・マストは戦後の燃料不足で燃やされていました。当時和歌山の紀州材が東京木場の木材屋に届くまでに半年以上かかっていました。その間実習生たちも帆船日本丸を復活させるため工事にたずさわっていました。そしてようやく1952(昭和27)年6月、日本丸は帆装復帰その美しい姿を再び現したのです。
年次 月日 詳細
1950
(昭25)
8/17〜8/31
10/22〜11/1
朝鮮戦争に伴う特殊輸送航海(佐世保−釜山−横浜−佐世保)
朝鮮戦争に伴う特殊輸送航海(佐世保−大分−仁川−佐世保)
1950
(昭25)
12/15〜S26.1/7 朝鮮戦争に伴う特殊輸送航海(佐世保−仁川−釜山−済州島−佐世保)
1951
(昭26)
3月
10月
 
帰還輸送、特殊輸送業務解除
船舶職員法一部改正により商船大学航海科実習生の帆船による遠洋航海が規定される
1952
(昭27)
6/12
7/18
浦賀造船所、帆装復旧工事完了
高松宮妃殿下御臨席のもと、帆装レセプションを品川沖で開催
1953
(昭28)
1/31〜3/19 太平洋諸島(南方八島)遺骨収集航海に従事
6.ふたたび世界へ
自由の女神の像を背景に帆走する日本丸
1953(昭和28)年6月、日本丸は戦後初めてで12年ぶりの遠洋航海、ハワイ島ヒロへと向かいました。折しもアメリカ独立記念日と重なり、実習生たちは街頭パレードに参加しました。
<日米修好通商百年記念航海>
 1960(昭和35)年4月2日〜9月6日
1860(万延元)年、徳川幕府が日米修好通商条約の使節として新見豊前守一行80名をワシントンに派遣した年から百年目に当ることから、日米親善使節の役目を日本丸実習生が果たしました。東映衣装部から江戸時代の武士の衣装を借りて、仮装行列などを行いました。
日本丸はこの他にも様々な国の港を訪れています。
年次 月日 詳細
1953
(昭28)
6/6〜8/8 戦後初の遠洋航海、米国独立記念祭参加(東京−ヒロ−東京)
1954
(昭29)
5/1〜8/17 遠洋航海(東京−ロスアンゼルス−ホノルル−ポートアレン−東京)
1955
(昭30)
5/2〜8/22 遠洋航海(東京−アストリア−ポートランド−カルフイ−東京)
1956
(昭31)
5/1〜8/22 遠洋航海(東京−サンフランシスコ−ヒロ−東京)
1957
(昭32)
4/5〜4/30
5/14〜9/11
11/15〜S33.2/4
浦賀造船所、32年度第1次改修工事
遠洋航海(東京−ホノルル−シアトル−東京)
浦賀造船所、32年度第2次改修工事
1958
(昭33)
5/7〜8/30 遠洋航海、カナダ・ブリティッシュコロンビア州百年祭参加
(東京−ビクトリア−バンクーバー−ポートアレン−東京)
1959
(昭34)
5/2〜8/20 遠洋航海(東京−ロスアンゼルス−ヒロ−東京)
1960
(昭35)
4/2〜9/6


9/5東京
11/5神戸
遠洋航海、日米修好通商百年祭参加
(東京−ロスアンゼルス−バルボア−ボルチモア−ニューヨーク−クリストバル−バルボア−ヒロ−東京)
日本丸、海王丸建造30周年を記念して帆走訓練公開

1961
(昭36)
5/9〜8/28

10/12〜12/14
遠洋航海、国際帆走レース参加
(神戸−ロスアンゼルス−ホノルル−東京)
戦後初の秋季遠洋航海(東京−カルフイ−東京)
1962
(昭37)
5/14〜8/29
10/13〜12/18
遠洋航海(東京−シアトル−ポートアレン−東京)
遠洋航海(東京−ヒロ−東京)
1963
(昭38)
5/9〜8/26
11/26〜S39.2/1
遠洋航海(神戸−サンフランシスコ−カフルイ−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
1964
(昭39)
5/13〜8/29
10/22〜12/28
遠洋航海(東京−アストリア−ポートランド−ナウリウィリー東京)
遠洋航海(東京−ヒロ−東京)
1965
(昭40)
5/13〜8/28
10/16〜12/27
遠洋航海(神戸−シアトル−カフルイ−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
1966
(昭41)
5/14〜8/27
10/17〜12/27
遠洋航海(横浜−サンディエゴ−ポートアレン−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
1967
(昭42)
5/8〜8/24
10/17〜12/26
遠洋航海、カナダ百年祭参加(神戸−ビクトリア−ニューウェストミンスター−ウェストバンクーバー−ヒロ−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
1968
(昭43)
5/10〜8/27
10/18〜12/26
遠洋航海、ハワイ移民百年祭参加(東京−ホノルル−ヒロ−サンフランシスコ−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
1969
(昭44)
5/10〜8/25
10/18〜12/26
遠洋航海(神戸−アストリア−ポートランド−カフルイ−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
1970
(昭45)
4/24〜8/29

10/6〜12/19
遠洋航海、オーストラリア・キャプテンクック二百年祭参加(東京−スバ−シドニー−ヌーメア−東京)
浦賀造船所、改修工事
1971
(昭46)
5/11〜8/28

12/10〜S47.3/8
遠洋航海、ブリティッシュコロンビア州連邦加盟百年祭参加(神戸−ビクトリア−バンクーバー−ヒロ−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−ポートアプラ−東京)
1972
(昭47)
5/4〜8/11
10/9〜12/27
遠洋航海(東京−サンフランシスコ−カフルイ−神戸)
遠洋航海(東京−ホノルル−ポートアプラ−東京)
1973
(昭48)
5/15〜8/22 遠洋航海(東京−シアトル−ヒロ−神戸)
1974
(昭49)
1/10〜3/16
6/3〜8/16
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−ポートアレン−東京)
1975
(昭50)
1/10〜3/15
6/3〜8・19
8/22〜10/9
10/27〜12/27
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海(神戸−ホノルル−ヒロ−東京)
浦賀造船所、オペレーションセール1976参加に向けて改修第1次工事
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
1976
(昭51)
2/16〜3/23
4/15〜9/22
浦賀造船所、オペレーションセール1976参加に向けて改修第2次工事
遠洋航海、アメリカ建国2百年祭オペレーションセール1976へ参加
(東京−ロングビーチ−バルボア−ニューヨーク−クリストバル−ホノルル−東京)
1977
(昭52)
1/10〜3/15
6/4〜8/23
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海(神戸−ホノルル−ヒロ−東京)
1978
(昭53)
1/10〜3/15
5/10〜8/24
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海、カナダ・キャプテンクック二百年祭参加(東京−ビクトリア−バンクーバー−シアトル−カフルイ−東京)
1979
(昭54)
1/10〜3/15
6/2〜8/21
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海(神戸−ホノルル−ヒロ−東京)
1980
(昭55)
1/10〜3/14
6/3〜9/16
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海(横浜−ホノルル−カフルイ−東京)
1981
(昭56)
1/10〜3/14
6/2〜8/21
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海(神戸−ホノルル−ヒロ−東京)
1982
(昭57)
1/11〜3/13
6/2〜8/23
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海(東京−ホノルル−カフルイ−東京)
1983
(昭58)
1/10〜3/14
6/2〜8/24
遠洋航海(東京−ホノルル−東京)
遠洋航海(神戸−ホノルル−ヒロ−東京)
1984
(昭59)
1/10〜3/14
6/2〜9/16
9/17
遠洋航海(東京−ホノルル−ポートアレン−東京)
遠洋航海(横浜−ホノルル−コナ−カフルイ−東京−浦賀−横浜)
横浜市へ引き渡し
1985
(昭60)
4/28 日本丸一般公開開始
7.帆船日本丸横浜へ
昭和59年、帆船日本丸は、54年5か月16日に渡って行ってきた、船員養成の任務を「“新”日本丸」に引き継ぎました。
その後、10都市(横浜、神戸、大阪、小樽、船橋、新湊、清水、豊橋、福岡、鹿児島)からの誘致要請が行われました。その中で、横浜市が掲げた活用計画*と、約83万人の市民の署名により誘致する都市が横浜と決定しました。
現在は、横浜船渠第一号ドック(国指定重要文化財)に係留保存され、多くの方々に公開しています。

*帆船日本丸保存活用基本計画
「帆船日本丸を旧三菱造船所内の明治32年(1899)建造の船渠内に係留し、周辺をドックパークとして整備し、湿ドッグ方式で生きた船として原型保存する。そして青少年を船内に宿泊させて海洋教室を実施し、登檣、操帆、海技の習得体験を計画、併せて海事思想の普及を図る。また、航海訓練所の協力のもと、訓練を受けた市民による総帆展帆および船内の一般公開を実施する。“帆船日本丸”の運営には、県・市を始め企業および市民による20億円の基金を募集して財源とする。」